複雑研のフクザツ回"気"

複雑系応用ビジネス研究会(略称「複雑研」)のブログです。 毎月の例会の様子、複雑系に関連する/しないエッセイや写真、旅行記、本の紹介、食やアートの紹介、自然や生き物とのふれあい、ライフスタイル、ビジネス・・・など、多士済々のメンバー間で"気"を回していきます。

2014年07月

さあ出発!木曽川から長良川へ
船に乗るのは久しぶりです。
_MG_0022













立田大橋を下から、
船ならではの眺めです。
木曽川は、あらためて見ると大きいです。
_MG_0026













やぐらのような感じですが、送電線鉄塔です。役目を終えて撤去中?、このままかも。
とっても気になる存在。
_MG_0028













さあ、いよいよ船頭平閘門へ。
_MG_0031













見えた! 船頭平閘門。

_MG_0034_MG_0036


















鉄仮面開く。
鐘を鳴らして合図すると監視所からの操作で自動的に開けてくれます。

_MG_0038













さあさあ、中へ。
ワクワク。


_MG_0042



















通って来た木曽川側の門が締まります。

_MG_0045













水位調整です。これから向かう長良川の水位まで上がります。門の前、海から現れる
ゴジラの登場シーンのよう。
_MG_0048













いざ、長良川へ。


_MG_0079





























二重構造の扉。
レンガの門がいいですね。
内側から撮影。
_MG_0063














_MG_0065













この船頭平閘門は、だれでも通れます。もちろん泳いではダメですが。

_MG_0066













門を上からみたところ。
下船後に撮影。


_MG_0074













岐路。
長良川から木曽川に帰る閘門内。水位に注目。_MG_0077




_MG_0081























送電線鉄塔が気になって。


とてもワクワクしたツアーでした。
M.杉野

今シリーズは私、Katoがトップバッターを務めます。

 木曽川と長良川を結ぶ船頭平閘門(せんどうひらこうもん)について、観光船"葛木丸"に乗って木曽三川の治水の歴史も学びながら、複雑研の感性でいろんな角度からメンバーのリレーでレポートが続く・・・と思います。お楽しみください。

Episode 1 葛木港をエンジン音高らかに出航!

ガイドのSさん
乗船完了。
出航直前の"葛木丸"です
中央はボランティアガイドのSさん。
右はクルーのYoさん。
木曽川左岸に設けられた葛木港を出航します。











あいさいさん
Sさんの背中には、"あいさいさん"
 
愛西市のキャラクターのレンコン君(さん)です。

ママさんガイドのSさん、途中下船した船頭平河川公園の船付き場で
ご主人とかわいいお嬢さんがママをお出迎え

本当は"愛妻市"なのです。







ところで、タイトル "葛木港をエンジン音高らかに出航!" って
本当はアクシデントのため少し違ったのです。
こんな感じでした。
トットットッ、プスプス、プスン、プスン。(エンジンの音)
(木曽川の真ん中で船、停まる) 「おいYo君、エンジンの調子がおかしいぞ」
「エーッ!!(複雑研メンバー一同)」
「みてみましょう」Yo君、竹竿でツンツン。「あーっ、藻がからんでますよ・・・」

Episode 2 干潮の船頭平閘門入り口を進み、閘門へ
船頭平閘門 木曽川側入口
今日は新月、潮の干満も大きく、前方の水路も潮が引いて小川のようです。
「入れるかなぁ」と心配そうな船頭のYaさんの声。

葛木港も砂州が見える程に水位が下がり、藻をプロペラに引っ掛けての出航となったようです。

この細い水路も二人の船頭さんの竹竿さばきのおかげでなんとか閘門までたどり着きました。




 閘門を開ける鐘
閘門の開閉は、のどかにも鐘の音を合図に行われます。鐘の先に着いているロープをたぐり寄せ、手で引っ張ります。

閘門の通行時間は午前8時30分から午後17時まで。

 この閘門が作られたのは明治35年(1902年)。パナマ運河より1年早い、と聞けば我らがご先祖様が偉大に思えてきます。
平成12年に重要文化財に指定されています。 

















beforebefore
今入ってきた、干潮の木曽川の水位です。 
































after after
これから入る長良川の水位まで、注水されました。

この水位の差は長良川河口堰により、昔より大きくなったそうです。



























Episode 3  木曽三川改修、閘門建設を語る
平沢所長
20世紀初頭の日本にどうして3,000人もの外国人技師を呼ぶ事が出来たの?
明治の政府は
治水技師を招聘するのに、どうやってオランダという国を選んだのだろう?
その建設資金をどうやって工面したのだろう?
こんな質問に熱っぽく答えてくれたのは、"船頭平閘門管理所」の平沢所長。
「資材は日清戦争の賠償金で買ったが、工事は地元の姉さん被りのお母ちゃん達の人力作業。日当は700円位の低賃金だったが、その金は政治家が自分の田畑を売り払って工面した。それを知ってるから誰も文句は言わないよ。明治の改修は心で作ってるから軟弱地盤にも関わらずびくともしない。」河川土木史、民俗史、舟運史などなど博識はとどまる所を知らない。

おわりに
Katoは学生時代、ボート部のクルーとして利根川閘門を通過した事が有ります。
利根川の閘門に比べたら、船頭平閘門など可愛いものだろう、とタカをくくっていましたがごめんなさい。全く違うすばらしい経験ができます。
船頭平閘門の中は、斜めに組み上げられた石垣の壁で開放的です。利根川の垂直にそそり立つ鋼鉄の壁に比べて中に入る人間の安心感が違います。
長良川側の閘門の扉が開くと、この時期、輝く緑と穏やかな水面が広がり始めます。岸辺にはガチョウが1羽、鴨も1羽。「まるで外国に来たみたい」と半世紀前の少女の瞳がきらきら。「今日は来てよかった。」
ええ、私もそう思いますよ。 by Kato
 

このページのトップヘ