複雑研のフクザツ回"気"

複雑系応用ビジネス研究会(略称「複雑研」)のブログです。 毎月の例会の様子、複雑系に関連する/しないエッセイや写真、旅行記、本の紹介、食やアートの紹介、自然や生き物とのふれあい、ライフスタイル、ビジネス・・・など、多士済々のメンバー間で"気"を回していきます。

カテゴリ: エッセイ

3月21日(土)、22日(日)と大分市、別府市を訪れました。
けっこうおもしろかったので、ご紹介したいと思います。

【FabLab ファブラボ 大分】
http://www.faboita.org/
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 昨今話題の3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル工作機器を子供からプロまで、使い方の指導や貸出しをしている、普及施設です。 デジタルの3Dデータで樹脂や石膏の工作物がだれでも製作できます。ただ、まだ、材料代が少し高価なのがネックのようです。

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 レーザーカッターです。CO2レーザーの本格的なものです。小型で、機器の価格は40万円くらいとのこと。昔は数百万円以上したものですけど、これならいろいろ使えそうですね。

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 案の定、こんなものがありました。これは「海苔」です。食品加工メーカーがお弁当などに使うキャラクターの形に切った海苔製品にしているそうです。

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 でも、県のお役所施設にあるので、入り口はこんな感じです。もう少し垢ぬけしたいとラボの人も言ってました。

【別府温泉 竹瓦温泉&竹瓦小路】
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 歴史的建造物の公衆浴場「竹瓦温泉」。市営で入浴料¥100です。
建物は、経済産業省、近代化産業遺産 だそうです。

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 もちろん、内部もレトロそのものです。お湯は43℃で体の芯まで温まりました。

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竹瓦温泉の向かいに細い路地がありました。「竹瓦小路」という小さなアーケード街です。なんと、大正10年にできた木造のアーケードです。今もスナックなどお店がやってます。
最古の木造アーケードで、これも、経済産業省、近代化産業遺産 だそうです。

【関サバ&地獄めぐり】
 おいしいものと物見遊山も・・・。
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【杉乃井 地熱発電所】

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 杉乃井ホテルの自家発電施設です。現在は、同ホテルの消費電力の40%をまかなっているとのこと。
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 発電所長さんの説明では、発電所が稼働始めた当初は、ホテルの必要電力ほぼすべてを供給可能だったとのことですが、年々、別府の温泉湧出量が減少していて、現在は40%まで減少してしまったとのことです。湧出量減少は発電所だけの原因ではないでしょうが、そんなことから、地元の人には評判が悪いとのことです。

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 設備投資と維持費用のコストのため、この規模の発電施設では、源泉蒸気で発電タービンを直接駆動する「シングルフラッシュ式」が実用に供されているとのこと。温泉を戻すことのできる「バイナリー式」なら温泉資源の枯渇を抑制しやすいが、大規模なものでないとコストペイできないとのこと。まだまだ、機器のコストダウンなど技術開発の課題はまだまだあるように感じました。
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 遠景はスギノイパレスの建物。ホテルの呼び物であるイルミネーションの電力はすべて地熱発電でまかなっているとのこと。東日本大震災の時もイルミネーションの電力消費を批判する声があったそうですが、原子力にたよらず、天候に左右されない、クリーンエネルギーとして注目を浴びたとのことです。
 エネルギー的コストメリットはないのだが、有名になったので「やめるにやめられない」とのこと。でも、企業イメージのアップには大きな効果を果たしていると思います。そのことを考えると、十分コストメリットを果たしていると思います。杉乃井さんにはがんぱってもらいたいですね。

 行って、現地、現物を見て、今までほとんど知らなかった大分に興味をもつことができました。

By 吉田

 昨日、日曜日の午後、緑区を歩きました。名古屋市内のディープな歴史を訪ねる「ブラタモリ」ならぬ、「ブラちかと」の気分です。    (記 吉田ちかと)
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出発は鳴海山下バス停からです。山下交差点は、旧東海道が熱田の宮から笠寺観音を通って、天白川を渡ったところに位置します。交差点の近くまで崖が迫っています。崖を上ると「千句塚公園」があります。



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ここは、松尾芭蕉の句「星崎の闇を見よとや啼千鳥」にゆかりの石碑が有名です。公園の高台から笠寺、熱田の宮方面を見ると、現在はビル群の間に笠寺観音の森がわずかに見えます。芭蕉のころはビルなど全く無く、千鳥の飛び交う、風光明媚な眺めだったのだろうと想像します。だれが、CGで当時の景色を再現してくれないかな。
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旧東海道を鳴海宿へ向かって歩きます。途中、「丹下町常夜灯」、「東福院の地蔵堂」に出会いましたIMG_0411_1




「東福院」の山門は、現在は、影も形も無くなっている「鳴海城(根古屋(ねごや)城」の廃材を使ったものだそうです。





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鳴海の本町交差点から常滑街道が始まるそうです。扇川を渡る橋のたもと、名鉄鳴海駅の北側に浅間社が近代的建物の間にぽつんと残されて建っていました。京田交差点で国道1号線を渡り、緑小学校の東側の小道が常滑街道のなごりとのこと。小学校の南に隣接して「鳴海八幡社」があります。
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しばらく南へ歩くとハサミのように鋭角な交差点があります。常滑街道と知多街道の交差点だそうです。写真の右の道が常滑街道で左が知多街道だそうです。


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少し、知多街道を歩くと左手に森の小山が見えてきます。小山の中腹に「明忠院」という寺院があります。境内に愛知県で保育が始まったのがここだと記した石碑がありました。現在も、保育園(幼稚園?)が隣接してました。
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この小山の山頂には「鷲津(わしづ)砦跡」があります。桶狭間の戦にゆかりの史跡とのことです。砦跡からは東海道線、東海道新幹線が望めました。
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鷲津砦を下りて、常滑街道に戻り、東海道線の高架をくぐります。このあたりは、その昔、中之郷と呼ばれ、陰陽師や尾張万歳の元締めが住んでいたそうです。道を常滑方面へ歩くと、大高北小学校の南に離接して八幡社があります。鎌倉時代初期からここに祀られている由緒ある八幡社とのことです。
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大高川を渡ると江明公園という小さな公園があり、旧知多郡大高町役場跡の石碑がありました。公園のそばのT字路を右折すると、神の井酒造の蔵元がありました。常滑街道は、T字路を反対側に進み20mも行ったところのT字路を右折します。その角に辻の秋葉社という小さな神社があります。このあたりは昔、「辻」と呼ばれ賑わっていたとのことです。
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大高の町中の街道を歩くと、右手の家並みの間から大高城址の小高い山が見えます。上ると、山頂あたりは建物の敷地跡が野球グランドくらいの広場になっています。広場の北側には、先ほど上った鷲津砦の小山が東海道線の向こうに見えます。
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大高城址を下りて街道を少し歩くと今度は、萬乗醸造の酒蔵があります。このあたりは昔から酒どころだったんですね。近くには尾張八十八ケ所第5番大高山東昌寺があります。
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もう、夕暮れになりました。今日の最後は氷上姉子(ひかみあねご)神社です。参道を上って行くと、鳥居や脇の灯篭の雰囲気が普通の神社の格とは違うなという感じがあります。それもそのはず、ここは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妻、宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)をお祀りする神社です。三種の神器のひとつ草薙神剣(クサナギノミツルギ)をお護りしていたところで、後に熱田の地へ移されそれより熱田神宮となったとのことです。つまり、熱田さんの元の神社ということです。国道23号線(名四国道)の大高インターのすぐ西(伊勢湾)側の森の中にあります。国道23号線を四日市方面に向かって走っていると、大高インターを過ぎたところで、左手に見える森がそれです。神社の境内にいると、すぐそばに、片側3車線の国道と名古屋高速の高架という大動脈が走っているなど想像できない静けさです。今の神殿は元々あった場所ではなく、元の宮は、参道を挟んだ火上山(ひかみやま)の山頂にあります。とても名古屋市内とは思えないようなうっそうとした森の道を歩いて登ると、石碑と小さな社がひっそりと建っていました。

  ※昨日までの記事では、「国道23号線から森は見えない」と書いていましたが、今日、ここを実際に車で通る機会があり、本当は見えることがわかりました。間違っていました。訂正してお詫びいたします。

山を伊勢湾側に下りて、森を出ると、東海市のコンビナートが遠くに見えました。ここが名古屋市と東海市の境界です。しばらく街道を歩き、名鉄名和駅に着いたころは、すっかり暗くなっていました。

今日はこれでおしまいです。

さて、次はどこを歩こうかな。

 名古屋市南区には汐田町、塩屋町、浜中町、元塩町、上浜町、前浜通など、塩や浜のつく地名がたくさんあります。南区の星崎あたりは昔、広大な塩浜があり、「前浜塩」と呼ばれた塩の産地だったそうです。その塩を信州などに運んだ道が塩付街道とのことです。
 きょうは、その塩付街道を瑞穂区の南の端から昭和区の北の端まで歩いてみました。一部は元の道が消えてしまっていますが、都会の真ん中とは思えない、古道の雰囲気を堪能しました。
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 スーパーピアゴ新瑞橋店の裏の駈上(かけあげ)一丁目あたりです。塩付街道は笠寺あたりの塩の倉を起点として北上し、ここまできていたようです。きょうはここから歩き始めることにします。
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 山崎川に注ぐ用水路に小さな橋がかかっています。塩付橋という名前です。塩付街道の跡と偲ばせます。

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 塩付橋から100mくらい北へ行くと、T字路になり道は現在の住宅地に消えてしまいます。おそらく街道は住宅地の中を直進し、瑞穂運動場のあたりにつながっていたのだと思います。
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 人の家の中を歩くことはできないので、山崎川河畔を歩きました。桜並木はすっかり緑の葉になっていました。
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 名古屋グランパスのホーム、瑞穂運動場前の広場に芝生の一角があります。「大曲輪(おおぐるわ)貝塚遺跡」です。つまり、縄文時代はこの近くが海岸だったということです。
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 瑞穂運動場の東側の丘陵を50mほど上ると、「あゆちの水」遺跡があります。万葉集に詠まれた「小治田(おわりだ)の年魚道(あゆち)の水」がここで汲み取られたとのことです。
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 「あゆちの水」遺跡のすぐ横の交差点の角に小さな道わけ地蔵がありました。「右、いし坂道」、「左、なご屋道」と。
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 近くに「無明洞」と記されたお寺らしき建物がありました。ここが、名古屋市内とは思えない佇まいですね。
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 瑞穂プールの西側の道が、塩付街道跡の道とのこと。写真の右の木立は瑞穂プールの敷地ですが、プールや北グランド一帯は、昔は「鼎池」だったそうです。
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 名古屋女子大の東の通りから一筋東の細い通りが、塩付街道とのこと。このあたりに、村上神社があります。
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 村上神社の向かいにレトロなお宅発見。このあたりは、閑静な住宅街ですが、塩付街道沿いだけは、古風な雰囲気が残っています。
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 旧街道の風情を醸し出す、二本松。


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 このお宅は、昔、農家だったのでしょうか。もちろんまわりには田畑は全くありません。

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 名古屋市大病院の東側脇道が、塩付街道です。街道沿いに小さな地蔵堂がありました。
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 名古屋市大病院の北東角にも、鬼門を守るかのように地蔵堂がありました。
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 藤成の神明社。ちょっと街道からはずれていますが。境内は都会の喧騒から隔離されています。

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 現在の塩付通から100mほど西の小路が塩付街道の旧道です。いかにも旧街道沿いの建物ですね。
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 石仏町の白山社。このあたりは一層、古風な風情が漂っています。
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 ここも、名古屋市昭和区です。


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 ここもレトロですね。写真の細い道は、塩付街道です。

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 こんな、佇まい。好きです。でも住んでいる人は早く建て替えたいんでしょうけど。
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これも、今日の写真です。決して昭和時代の撮影ではありませんよ。
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 御器所通り近くの地蔵堂です。街道沿いには道中の安全を祈った、地蔵や馬頭観音が多くあったそうで、今もその名残りを伝えていました。
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 居酒屋「なんや」さん。現在の塩付通りと旧塩付街道が交差するY字路の角にたつ、将棋の駒のような平たい建物が独特ですが、このお店、私が学生時代からありました。当時はロック喫茶で真っ黒な壁したが、30数年以上やっておられるのですね。
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 三毛猫さんとご挨拶です。
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 ここで、旧飯田街道と交差します。この角の駐車場の場所に、その昔、蹄鉄屋があったとのことです。ここから南信へは飯田街道で塩が運ばれたのでしょう。
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 旧飯田街道から、国道153号線への区間にも昔の風情が残っていました。このあと、塩付街道は高針街道(広小路通)、山口街道(出来町通)へ北進します。
 きょうはこのへんで終わりとしましょう。       (by よしだ)

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