まだまだ寒いですが、日差しは着実に春に近づいていますね。
きょうは、私、吉田信人は名古屋市南部を歩きました。自分の住んでいる地元ですが、けっこう新たな発見があり面白い一日でしたのでここにご紹介します。

始まりは名鉄、本笠寺駅からです。

旧東海道を歩き、すぐに笠寺観音に着きました。
今年は恵方でした。節分の時もお参りしたので、1ヶ月後にまたお参りしたことになります。今日は、出店はない普段の静かな笠寺観音でした。

芭蕉の千鳥塚、宮本武蔵の碑がありました。節分のときは出店の後ろに隠れて見えませんでした。笠寺は芭蕉や武蔵にゆかりがあったんですね。武蔵の碑には「新免(シンメン)武蔵」とありました。「新免」さんというのは、武蔵の故郷と言われ、私の故郷でもある美作に見られる名前です。懐かしくなりました。

笠寺公園の梅もほぼ満開。

公園は見晴台遺跡の資料館があります。初めて入ったんですが、弥生時代の住居が復元展示されていて興味深いものでした。

見晴台から5分くらい歩くと、桜台高校の近くに八幡社があります。

桜田勝景跡の解説がありました。このあたりは万葉集にも詠まれた景色のよいところだったそうです。その昔は、このあたりの「桜田」とよばれる田園から「年魚市潟(あゆちがた)」とよばれた干潟がひろがる広々とした風景だったようです。「年魚市」⇒「阿由知」⇒「愛知」になったそうな。

八幡社の近くに村上社という小さな神社があり樹齢千年と言われる巨大な楠木があります。さすがに迫力の存在感です。
坂を下りると、地下鉄桜通線の鶴里駅です。東海通を東へ歩き、天白川を渡ります。この道はその昔鎌倉街道だったそうで、鶴里駅あたりから野並駅あたりまでは、旅人は舟で、当時の「年魚市潟」を渡ったそうです。船のルートはこの村上社から古鳴海あたりへのルートもあったようです。

野並橋から天白川の上流を望みます。東海豪雨の水害まではこのあたりは天井川でした。豪雨のあと、川底を3mほどしゅんせつし橋も架け替えられました。10年くらい工事が続いていたように思います。画面中央の堤防ぞいにベージュ色のビルが見えますが、豪雨のとき想定以上の雨量で水没し、作動しなかった野並ポンプ場です。そのため、堤防は決壊はしませんでしたが、写真の向こう岸の堤防の外側の町内一体が水没しました。

野並の交差点の大通りのすぐ裏に細い小道があります。これが旧鎌倉街道とのことで、その、ゆるい上り坂をちょっと登ると、野並八剣社があります。入り口に「村社」とありました。ここは昔は村だったんですね。

八剣社の裏は相生山です。相生山緑地の入り口に、その昔、熱田神宮の大宮司を勤めたという千秋家の墓があります。普通の住宅地の横にある墓地の一角が生垣に囲まれ、「私有地につき立ち入り禁止」の表示がありました。

相生山緑地の南端を東へ歩くと「相生山徳林寺」があります。かなり大きな境内のお寺で、どこか手作り感の漂う不思議な雰囲気です。そんなに古い由緒のあるお寺ではないようです。写真はベトナムで作られた鐘楼で、ほとんど完成間近でした。その他境内はいろいろ建設中でした。

徳林寺の近くに「葉書供養塔」という不思議な建造物があります。詳しくはGooglなどで検索してみてください。

もみじの径という山道を下ると、相生山交差点に出ます。名古屋市内にもこんな山奥のようなところがあるんですね。

相生山のダイエーの隣に戸笠池があります。私はつりは詳しくないんですが、ここは「バス釣り」の有名なポイントとのことです。それと、渡り鳥がよく見られるところとのことで、きょうも葦のほとりや池の水面にたくさんの鳥がいました。
池を後に、さらに東へ歩き、水道局の鳴海配水塔のそばの「桃山の湯」というスーパー銭湯でゆっくり疲れを癒しました。本日の行程は、約7.5km。所要時間は約4時間でした。自分でプランしたオリジナルコースですけど、けっこうハードなコースでした。
きょうはこれまで。
きょうは、私、吉田信人は名古屋市南部を歩きました。自分の住んでいる地元ですが、けっこう新たな発見があり面白い一日でしたのでここにご紹介します。

始まりは名鉄、本笠寺駅からです。

旧東海道を歩き、すぐに笠寺観音に着きました。
今年は恵方でした。節分の時もお参りしたので、1ヶ月後にまたお参りしたことになります。今日は、出店はない普段の静かな笠寺観音でした。

芭蕉の千鳥塚、宮本武蔵の碑がありました。節分のときは出店の後ろに隠れて見えませんでした。笠寺は芭蕉や武蔵にゆかりがあったんですね。武蔵の碑には「新免(シンメン)武蔵」とありました。「新免」さんというのは、武蔵の故郷と言われ、私の故郷でもある美作に見られる名前です。懐かしくなりました。

笠寺公園の梅もほぼ満開。

公園は見晴台遺跡の資料館があります。初めて入ったんですが、弥生時代の住居が復元展示されていて興味深いものでした。

見晴台から5分くらい歩くと、桜台高校の近くに八幡社があります。

桜田勝景跡の解説がありました。このあたりは万葉集にも詠まれた景色のよいところだったそうです。その昔は、このあたりの「桜田」とよばれる田園から「年魚市潟(あゆちがた)」とよばれた干潟がひろがる広々とした風景だったようです。「年魚市」⇒「阿由知」⇒「愛知」になったそうな。

八幡社の近くに村上社という小さな神社があり樹齢千年と言われる巨大な楠木があります。さすがに迫力の存在感です。
坂を下りると、地下鉄桜通線の鶴里駅です。東海通を東へ歩き、天白川を渡ります。この道はその昔鎌倉街道だったそうで、鶴里駅あたりから野並駅あたりまでは、旅人は舟で、当時の「年魚市潟」を渡ったそうです。船のルートはこの村上社から古鳴海あたりへのルートもあったようです。

野並橋から天白川の上流を望みます。東海豪雨の水害まではこのあたりは天井川でした。豪雨のあと、川底を3mほどしゅんせつし橋も架け替えられました。10年くらい工事が続いていたように思います。画面中央の堤防ぞいにベージュ色のビルが見えますが、豪雨のとき想定以上の雨量で水没し、作動しなかった野並ポンプ場です。そのため、堤防は決壊はしませんでしたが、写真の向こう岸の堤防の外側の町内一体が水没しました。

野並の交差点の大通りのすぐ裏に細い小道があります。これが旧鎌倉街道とのことで、その、ゆるい上り坂をちょっと登ると、野並八剣社があります。入り口に「村社」とありました。ここは昔は村だったんですね。

八剣社の裏は相生山です。相生山緑地の入り口に、その昔、熱田神宮の大宮司を勤めたという千秋家の墓があります。普通の住宅地の横にある墓地の一角が生垣に囲まれ、「私有地につき立ち入り禁止」の表示がありました。

相生山緑地の南端を東へ歩くと「相生山徳林寺」があります。かなり大きな境内のお寺で、どこか手作り感の漂う不思議な雰囲気です。そんなに古い由緒のあるお寺ではないようです。写真はベトナムで作られた鐘楼で、ほとんど完成間近でした。その他境内はいろいろ建設中でした。

徳林寺の近くに「葉書供養塔」という不思議な建造物があります。詳しくはGooglなどで検索してみてください。

もみじの径という山道を下ると、相生山交差点に出ます。名古屋市内にもこんな山奥のようなところがあるんですね。

相生山のダイエーの隣に戸笠池があります。私はつりは詳しくないんですが、ここは「バス釣り」の有名なポイントとのことです。それと、渡り鳥がよく見られるところとのことで、きょうも葦のほとりや池の水面にたくさんの鳥がいました。
池を後に、さらに東へ歩き、水道局の鳴海配水塔のそばの「桃山の湯」というスーパー銭湯でゆっくり疲れを癒しました。本日の行程は、約7.5km。所要時間は約4時間でした。自分でプランしたオリジナルコースですけど、けっこうハードなコースでした。
きょうはこれまで。

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